趣味について

私は旅行が好きだ。

地元に住んでいれば絶対に見られないだろう光景や、大自然が広がる絶景。

英語でもない現地の言葉をなんとか理解したり、身振り手振りでコミュニケーションをしたり。

世界は広いんだということを教えてくれて、何気ない日常から逃げ出すために衝動的に旅に出たくなるような感覚が定期的に自分を襲う。

好きなことを、好きな時にできる。

こんな幸せなことはないだろう。

だけど、その幸せの先には何があるのだろうか。

Instagram で加工して、ツイートをして、感情や感動を共有しても

「あぁ、あんなところに行ったんだ。」「楽しそうだね。」

以上のものは生まれず、それ以降の財産にはならないだろう。

およそ日常ではできない体験は、人生を豊かにはするでしょう。

話のタネにもなるし、日常習慣のリフレッシュになって良いことだらけではあるけれど。

それじゃあ視野が狭いなと漠然と唐突に思ってしまった。

思いついてしまった。

思い出してしまった。

自分の幸せと身の回りの人の幸せ、あるいは日本人、ひいては人類の進歩と比較してみる。

些細で取るに足らぬことは一目瞭然である。

(SNS の投稿を含む)旅行記を共有する価値はもちろんあるのだろうが、誰に届けたいのか?を考えると疑問が残る。

ガイドブックに載っていないような未開の地に行くのならまだしも、誰もが行くお祭りや観光地に行ってなんの価値がある?

そして、自分じゃなくても体験できることなので希少性は限りなく薄い。

私はエンジニアなのでテクノロジーを用いて誰かを幸せにすることができるポジションにいる。

旅行以上の幸せを開発で感じられるなら、もはや、旅行に行く意味が自分にはあるのだろうか。

自分にしか作れない Web サービスを作った方が、オリジナリティがあり世の中にとっても興味深いだろう。

インターネットを通して、圧倒的多数の人たちが豊かな生活を送れるように尽力していく。

かの有名な Steve Jobs は言った。

'Life is about creating and living experiences that are worth sharing.'

「人生は、分かち合う価値のある生き生きとした経験を生み出すことです。」(google 翻訳)

ちょっと誤訳だけど、意味は伝わるだろう。

これからの行動原則は、「自分にしかできないことで共有する価値のあるものになるか?」だ。

この思考の整理も、自分自身を見つめ直すという、自分にしかできないというルールを認識した上で作成している。

日々の行動や趣味を見つめ直し、価値のあるものにフォーカスしていけるよう精進する。

私にとっての「価値」についても明文化が必要だ。

旅行記と Web サービスにおける価値の違いは、届けられる人数の違いだろう。

正確には、届いたその先で「必要としている」人数である。

私の旅行記が、SNS を通して 100 人に読まれても、各人が必要としているかというと、否である。

それは、読者の心を少しは豊かにするかもしれないが心の琴線に触れるものではない。

そして、私を知らない人にとってはなんの価値もない。属人的なのである。

一方、Web サービスは非属人的で、便利で生活を豊かにするならば誰にでも必要とされると考えられる。

人々の需要を鑑みることができるかは今後の課題ではあるが、本質を捉え、見誤らないようにしていくことが重要。

というわけで、旅行ではなくサービス開発に注力し価値を生み出していこう、という意思表明でした。

チェンマイのおしゃれなカフェにて。